
宗教が歴史の渦を作り出してきたインドにも、キリスト教は存在します。
日本にももちろんある宗教。でも、わたしたち日本人の多くは、宗教という原理を理解しづらいと思うんです。国民の社会生活に密着しているとは言えないし、それが良いのか悪いのかは置いておいて……宗教に帰依していると言うだけで胡散臭がられる若者文化すらある。これは先進国の国民として、ちょっと問題がある気もしています。
でも、短い期間でもアジアやアフリカを旅していると、宗教の「意味」がうっすら分かってきたりします。
「道徳」ということか……。
もちろん、道徳ひとつで片付けられるほど宗教は浅くありません。日本の道徳教育は昨今なにかと問題視されますが、世界的にはほどほどに優れた方だと思います。ただ、教育を受けられる子供が100%ではない国では、どうやって道徳秩序を教えるのか。何を基準に、良いこと悪いことを判断させるのか?
宗教=道徳
そういう国に行って感じたのは、「わたしたちは、この国の宗教に守られている」ということでした。
人をむやみに殺してはいけないとする宗教を信じる人たちの国であれば、道徳教育が優れていなくても、その宗教心によって平和が保たれている。旅人はその恩恵を受けている、と言っても言い過ぎではない気がします。
とはいえ、どこの国でも戒律を都合よく解釈している人が多いなぁ、というのもわたしの感想です。
インドのコルカタにあるマザー・テレサの家は、キリスト教の修道院です。マザーの功績は映画や本でたくさん紹介されています。ここには慈悲深い旅人が多く訪れる”スポット”。それゆえ、その慈悲に満ちた心につけ込んでくる輩が多いので、要注意です。
マザーハウスの前で起きる詐欺とは?
たとえば、マザーハウスの入り口が分からずうろうろしていると、「こっちだよ!」と連れて行ってくれる子供がいます。たいがい嘘は言いません。マザーハウスに救われている子供たちですから。
でも、この子たち、案内した人が出てくるのを何時間も待っています。
出てきたら「さっきのお礼をください」とおねだり。「チョコレート、チョコレート!」
はいはい、と笑顔を見せた瞬間、赤ん坊を抱いた両親(役?)が現れて、粉ミルクやウエハースをせがんできます。そんなもの持ってないよとジェスチャーすると、お店を指さす。「ここに売っている」と。
お店に入ったらアウト。彼らは万引きをして逃げていきます。
店主はパニック。「なんてことをしてくれたんだ!代金はお前が払え」と。
でも実は……この店の主人もグルです。
気をつけてください。
まんまと引っかかったのは、わたしです……。