「山頂がどのように見えるかを明確にする」作曲がぶれる理由に気づいた話

「山頂がどのように見えるかを明確にする」作曲がぶれる理由に気づいた話

今の気持ちを曲にしてみる。そんな感じで曲を作っても、その時はしっくり来るんですけど、残らない曲になってしまうことが多いんです。

逆に、ミュージカルや、なにかしらの脚本やテーマがあって、それにそって作らなければならない時、これが残る。たとえば、ミュージカル「森は生きている」で作った曲が、数年前、大雨の土砂崩れで被災した福井県の方の心に届いて、大きなお祭りにゲスト出演したことがありました。

なんでか、なんでか、というなぞ。最近、ある本を読んでいてわかったんです。

「山頂がどのように見えるかを明確にする」

この言葉。この本を読むと、要するに、明確なゴールを見据えて進まないとたどりつかないという意味で使われているのですが、作曲一つにしても、そうだったんですね。明らかな違いが出てくる。

最近のわたしはというと、かつてのように「メジャーデビューしてやる!」っていう明確なゴールはなく、新たなスタイルの音楽家として生きていくとは言っているものの、日々自由に(もちろん、あらゆる努力はしているのですが)生きていると、自分のゴールを見失うことが多々あります。

今一度、どんな自分になりたいか、明確に紙に書いてみよう。ホワイトボードに書いてみよう。

その上で歩き出さないと、大きなカーブを描いてしまいそうです。