ヴォーカリストから作曲家へ
今年の暮れにタイのバンコクで上演されるミュージカル「不思議の国のアリス」の楽曲の依頼をいただき作らせていただきました。
タイの日本人劇団サザン天都さんとはもう、10年以上の付き合いになる。
気付いたら、この10年、サザン天都さんの曲しか作っていない年もあったのだから、毎年、作曲依頼をいただくことで自分が音楽家であることを思い起こさせてくれる貴重な機会をいただけていたのだなと感謝します。
つい最近までは、昭和の名曲でライヴをしていたので、自分の音楽活動はオリジナルというものから遠ざかっていました。
経営者になって6年目
需要と供給のバランスなんかをいつも意図しているモノだから、世の中にこれ以上、新曲なんて求められていない!と思えば思うほど、産みの苦しみがむなしくも感じていた。
自分が曲なんか作って誰が喜ぶ?
僕がバンドマンを卒業したのは、第一子誕生してから。
バンドをやめたのは長女が生まれたことが直接の理由ではないにしても、間接的には僕自身の岐路にそれなりに影響を与えたんだろう。
夢あきらめて、裏方で生きるべって
音楽活動もほどほどにほとんど聞く側に回ってきた10年で気付いたこと
あれから10年経つと、世界の音楽事情が大きく変わっていて、作曲家としてもその変化については、一喜一憂したりする。
中でも嬉しい変化はDAWソフトの進化。音源の進化。
僕のように、バンド活動を卒業した人でも、生の楽器の音をパソコンの中で自分の思い通りに再生することができたりする。
今年もミュージカルの曲は作ったが自分の曲は作っていない。
楽曲を作っていると、ふと自分の曲はどうだったか?気になって仕方なくなる。
そこで過去の自分の作品の譜面を広げて、なかなかいい曲が眠っていることに気付いた。
当時の自分たちの演奏力や歌唱力が届かなくて日の目を浴びられなかった作品たち。
今こそ、日の目を浴びるときか?と思い立った。
当時は一ヶ月に5曲も10曲も作っていたけど、あれは何のために生んでいたんだろうと今になって気付く。
有名アーティストは3年掛けて1枚のアルバムを作ったりする。
つまり、1年に3~4曲。音楽専門の人達が共同作業でこの量だ。
音楽なんて大量生産するようなものじゃない。聞く側にたてば、そんなもの一目瞭然。
ここ10年、ほぼ聞く側の立場になっていたから気付いたことがある。
結局、記憶に残る曲は1年で2~3曲だ。
とりわけ、今の音楽はアルバムではなく、一曲買いのスタイルが主流。
ならばこちらも、自分の中の最高傑作を1年掛けてリアレンジして世に送り出そうと、こつこつアレンジをし始めました。
当時のメンバーとは、年賀状くらいでしかやりとりしていないけど、あの頃の曲たちが今の世代にどう響くのか?Youtubeや、iTunesを通して、世に送り出してみよう。
コメント