祖父母が亡くなる。次は自分の親の順番がくる。
ここ数年で、祖父母4人が健在だったところ父方の祖母を除いて立て続けに亡くなりました。
そうなってくると、次は自分の親の順番がくる・・・
生命のはかなさをつくづく感じ始めています。
30代、40代を生きる世代にとってのほとんどの人がもつ共通認識、自分の親の「死」に対する「現実味」を感じ出す頃だと思います。
これからどのような事態が起きても対処できるように、兄弟で話をしたり、書籍を読んで相続や、介護についての情報を取り入れるようになってきました。
なかでも、この本。
タイトルがどうか?と思うのですが(これでは、買い控えしてしまう・・・家に置いておけない)とても素晴らしい内容でした。
もう親を捨てるしかない 介護・葬式・遺産は、要らない (幻冬舎新書)
- 作者: 島田裕巳
- 出版社/メーカー: 幻冬舎
- 発売日: 2016/05/28
- メディア: 新書
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このなかで、とても気になる文がありました。
自らの死が近づけば、それに恐怖を感じるだろう。そのとき、人が次第にボケていくのは、そうした恐怖を忘れさせる、あるいは感じさせないことにもつながっていくのではないだろうか。
認知症は、死への恐怖から遠ざけるための人間の防御策ではないか?という仮説ともとれる内容でした。
これに気づいている人は他にもいるのかな?とググってみると・・・
いた。
認知症は死への恐怖から遠ざけるための人間の防衛手段だったのかもしれない・・・
そこで、ボクは思った。
自分の身近にも思い当たる節があったからだ。
身寄りが無く、一人暮らし、話をすると、ちょっと前に言ったことを忘れている方がいて、口癖は、誰にも頼らず、俗に言うPPKを望んでいる。
PPK:ピンピンコロンのことで、毎日ピンピン元気で、死ぬときはコロンと逝きたい。
それは、逆に言えば、頼る人間がいない不安、恐怖からくる「願望」なんだと言うことはよくわかる。
でも、その願いとは逆に、ご本人は物忘れが徐々に多くなってきているのがわかるのです。
この書籍からとれる仮説から考えれば、もしかしたら、死への恐怖が徐々に認知症へと誘っているのでは?という風にもとれなくもない。
ということは・・・
認知症の予防は、老後生活の不安の解消?
これも、仮説なのですが、その不安を解消させてあげれば、認知症の予防になるのではないだろうか?
死への恐怖。つまり、老後の不安。お金の不安。住む場所の不安。介護の不安。認知症がそういうものの恐怖から逃げるための防衛手段であるならば、そういうものの不安を解消してあげることがどれだけ重要かが見えてきた。
たとえば、親の将来、認知症になったらどうしよう、介護はできるのか?そういう風に思う前に、まず、最初に、「オレがついている」「遠慮せずに私に任せて」と安心させてあげることはとても大事なことだと思う。
「大丈夫、大丈夫、心配しないで!」
こんな言葉をかけることができたらいいなと思った。親だからこそ、なかなか言えない言葉なのかもしれないけど、自分が子供の頃は、ずっと母親に言われてきた言葉だったかもしれない。
「大丈夫、大丈夫。」
どこの母親も、これは口癖になっている言葉だと思う。
それをいつか、子供のほうから同じように言ってあげること。
大切なことだなと思いました。
もちろん、親側の思い「遠慮」もある。
もちろん、親にとって、子供に迷惑を掛けられないという思いが重々にあるだろう。
でも、そこは、押しつけでも何でもいいから、とにかく、まずは、心の支えになってあげることが大切なのだと思いました。
最後にことわっておきますが・・・
これは、ボクが本を読んで感じた気づいた仮説に過ぎませんが、予防策としてというよりも、親子であれば、これは普段から普通に掛け合える言葉であるべきだと思いました。自分自身、反省する点でもあります。
特に息子は親に対して言葉少なくなってきますよね。ボクも同じです。
補足、紹介した本のタイトルについての苦情
それと、島田裕巳さんの著書のタイトル「もう親を捨てるしかない」。やっぱり、これでは、なかなか手に取れません。仮に家においてあるところを親に見られたら、そこから亀裂が生じないとも限らない。Kindleの中にあるのを妻に発見されて、「なんて本を読んでいるんだ?」と一瞬、思われたほどでございます。
読まれる方は、親御さんに誤解を与えないように、管理には充分、ご注意ください。
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