仕事量が生きてる時間の60%くらいまで来ると息が苦しくなる

極力、「忙しい」と言わないようにしてます。
特にTwitterやFacebook、ブログで。
「時間が足りない」とか、「わー」とか「ぎゃー」とか。
自分以外の人にとってはどうでもいいことは発信しても何も起こらないですよね。
どうでもいいんだもの。
忙しいとき、思うんです、たしかに「時間が足りない」と。
でも、「時間が足りない」なんていうのは、ある意味、比喩にも似た表現で、要するに、やりきれないほど、詰め込みすぎたドクロというだけなんですよね。
それで、詰め込みすぎるとどうなるか?
目の前のやるべきことに追われて、明日が見えなくなる。
明日が見えないのだから、1年後、2年後・・・10年後が見えなくなるわけで。
だからこそ、将来のために学ぼう!なんて発想も起きるわけがない。
今という時間がくるくる回って、今日が昨日や明日と変わらない毎日を送ることになるんだろー叫び
だから「時間が足りない」状況は作らないようにするんです。
だいたい、仕事量が生きてる時間の60%くらいまで来ると息が苦しくなる。
職種にもよりますが・・・僕の場合はデザインや企画や、事業の演出すること、アイディアを導き出すことが仕事だから、アイディアが生まれてくる場所:余白を用意しておかなければならないというのもあります。
周りに仕事量が生きてる時間の100%すれすれの人がいるんですけど、僕だったら意識が飛んでる。
でもって、今、「時間が足りない」状況です。一気に終わらせて、また、生きてる時間の50%水域に戻していきます。ONとOFFは半々でヤジロベエのバランスだと思って生きてます。

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