お金を払えば良いものが作れるのか?
だいたいにおいてイエスだと思ってます。
純粋な人は熱意があれば!と言う。僕もそうでした。
20代、30代と、バックパッカーをやっていて、年の半分くらいをアジアで過ごしていた年がいくつかありました。
恵まれない地域で暮らす人たちを見ては、自分に何かできることがないだろうか?と考えるようになります。
日本に帰りNGOやNPOの活動に参加したり支援したりしました。
そこで関わった人たちは皆、極貧だった。身銭を切って活動をしている人もいる。
「労働の対価は活動をすることで得られる充実感や喜び」と言っているかのようにきらきらしていた。
きらきらしていればそれでいいのか?
でも、この先、この人たちの人生はどうなってしまうんだろうか?と思うようになった。
人を助けて自らが身を滅ぼすんじゃないか?とさえ思った。
お金を稼いでなんぼだろ!と思ったのは家族を持ってから
その後、僕は事業を興すことになります。それは、結婚して子供ができたくらいのとき。
その頃はまだ、芝居とバンドを現役でバリバリやっていました。音楽で飯を食う。時折、アジアの実情を歌にして伝えることが大切なこと。
時折、子供たちに世界の実情を知らせることが大切なこと。
そんな理念だけで生きていた。今もそれは否定しませんが、現実はそれだけでは生きてはいけない。
今思えば青臭いやつだったと思う。
目を日本に向ければ貧困で苦しむ人たち。自殺率は世界一。
世界の恵まれない地域に目を向けて慈悲の心を持つことがブランドのように思っていなかったか?と自問自答できるようになったのは、ことごとく現実主義にシフトしたから。
この目で見てきたアジアの貧困より、目の前の自分の家族でいっぱいいっぱいになる。
オレは親父だ、仕事をしないと。
父親になって、当たり前のことだけど、人生が急にリアリティをもって迫ってきた感じ。
保険に入る。家を持つ。税金を払う。年金をもらう年を計算して、貯蓄をする。
そうでもしないと、家族が身を滅ぼすからだ。
たぶん、それまでは半分、空想か夢の世界にいたのだと思う。
熱意だけでは人は動かないし、良いものもできない。大事なのはお金だ。
事業をすれば、人を動かすときに当然、お金がかかる。
お金を支払ったとき、人の動きはシビアになることが多い。責任感をもち、クオリティを上げて、だいたいの場合、しっかり納期までに終わらせてくる。
NPOやNGOのすべてがそうとは言わないけど、彼らの場合、たしかにきらきらはしていたけど、質やスピードの面で一般企業がプロデュースしているものと比較すると劣ることが多かった。
外側から見てわかるものの代表として以下のものが確実に劣っている。
- ウェブサイト
- フライヤー
- イベントの集客と内容
もちろん、彼らが放つメッセージに劣っているところは微塵もない。一般企業が顧客に良いところを見せたいが為だけに作るような経営理念なんかよりも、充分立派なことが多い。ただ、上記3点だけ見ても、正直、一般的視点から見ても劣っていることが多い。
それでも、成り立っているのは、それに賛同する人たちがいるからで、そういう人たちは質の低いものに対しても、批評もしない。
いや、できない。無償の奉仕でできた産物に文句や批評なんかできるわけがない。そのことが更に盲目にさせていく。
口癖は「※※できる人、誰かいませんか?」
この言葉の裏にあるのは「タダで」というもの。
ただ働きでクオリティの高いものができることはほとんどない。
たとえば、役者の世界。身銭を切る人、タダでやる人、お金をもらう人の3種類いる
僕の知人で演劇をプロデュースしている人がいる。
いつもは、チケットノルマを課して出演してもらうが、今回はギャラを支払うのだと言う。
その分、出演希望者の絶対数が増えたからというのもあるけど、その質は断然、上がったのだという。
お金をもらっている以上、それなりのものを返さなければいけない。
この意識は絶対的に質を高める。
仕事をする側から見れば、仕事に対する絶対条件だと思っている。
それは働くすべての人の共通の認識だと思う。
申し訳ないけど、タダ働きで慈悲できらきらしながらやったとしても、その作業とはできあがるものが違ってくる。
できあがるもののレベルが低ければ、結果的に情報として埋もれていき、変化を起こすことが難しくなる。
だったら事業をした方が早い
ボランティアで回っているNPOやNGOも、もっとお金を回していくべきだと思う。
NPOやNGOだけじゃない。音楽や演劇もそう。とにかくお金を回す。
役者にお金を払うところから始める。これは相当なハードルだと思うけど、これについてはまた、別の機会で算出して事業として成り立つ方法を考えていきたいと思っています。
社会起業と声高に言われているけど、そういう区分けも必要ないくらい、NGO活用や芸術活動も「活動」と言わず一つの業種になれば良いと思う。
一度、チケットノルマを課されている芝居と、ギャラをもらって演じられている芝居を見比べてほしい。
そこには、絶対的な質の違いがまざまざと現れているからだ。
もちろん、役者としてスタートを切ったとき、ステップして、身銭を切ってでも出演する期間があるのは当然なんですけど、それをよしとして、それが役者文化だと勝手な決めつけをして、いつまでもその位置にいることが結局、質の上がらない要因なんだと思う。
事業というものは質を上げれば値段がつく。当然の流れなのだから。
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