今日の朝の特ダネで、松本人志さん、まっちゃんのお父さんが亡くなったことを知りました。
まっちゃんのツイッターが紹介されて、おこがましすぎるけど、自分とも重なる部分がかなりあって…考えさせられた。
親父が死んだ。。。 オレは悲しまない。 あの人とはいろいろあったからな。 葬式で帰省。あの人と暮らした尼崎を少し歩いた。あの人と子供の頃行った太陽の塔を見に行った。あの人と食べたチキンライスを食べたらさすがにいろんな感情が押し寄せて来やがった。。。 親父。さいなら。
— 松本人志 (@matsu_bouzu) 2014, 8月 31
「いろいろあったからな」
一度も褒めてもらったことがない
そんなふうに、どこかでおっしゃっていたそうで
あぁ、おれもそうだ
うちは、まだ、死んでないんだけど(^▽^;)
ただ、あれだけ突き抜けている人が、全国のみならず、世界中から賞賛されてきた人が、「親父に褒められたことがない」っていう。
昭和の親父って、だいたい、暴力つかうでしょ。
多分、そんなこともあったんだろうし
実際、うちも、まぁ、顔の形かわった状態で、学校行って、転んだって、友達に話してたな・・・どうやって転べばそうなるんだって笑われたけど。
(お前ごときが自分を語るなと言われそうだけど、自分のブログだし、許して)
高校1年生の頃、事務所から歌舞伎座への出向を指示されて、義経千本桜に出演した。
自分が人から認められ、雲の上の人たちと共に舞台に立てた瞬間は、一つ、自分の夢がかなった瞬間だった。
12月1日からの25日公演で、当然のように学校に出席できなくなった。
親に言えば、学校に行けと言われるのは分かっていたので、無断で早退を繰り返したことがきっかけで、親から芝居を取り上げられた。
今でも思う。あのまま芝居を続けていられれば、自分の人生は全くちがうモノになっていたと。
あそこらへんから、親父とは口きかなくなって、18歳で家を出て、当時付き合っていた女の子の家から帰らなくなった。ほとんど会わなくなって、22歳で自分のアパートに引っ越すと全く会わなくなった。
弟の結婚式でたぶん、5年ぶりくらいに会ったんだな。
それからはちょこちょこ会うようになって、経営者の父の元で仕事をしていた時期もあったけど、結局、うまくいかなくて。
というのも、仕事上のことでも、プライベートのことでも、親父の眉間のしわ見た瞬間、おれ、瞬間湯沸かし器みたいにキレちゃうんです。
トラウマってやつか。殴られたことと、芝居を取り上げられたことを憎み続けていたから。
まっちゃんのそういうつぶやきを読んで、
あぁ、でも、それでも、親が死ぬときって、そんな気持ちになるんだな・・・ってちょっと、思った。
親孝行か・・・
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