他人の時間を生きる事と
自分の時間を生きる事。
自分がこうしたい!と思って行動しているとき、自分の時間を生きている感じがする。
逆に・・・
誰かの時間を生きている、束縛されている感じになることがあります。
学びたいと思って学校に行くのは自分の時間。
逆に、義務教育だから、会社で取らなければならない資格があるからという理由で学ぶ、他人の時間を生きている。
同じ行動でも思いの違いで感覚は真逆になります。結果にも差がつく。
僕は極力、この他人の時間を生きるという時間を自分のライフスタイルから消し去りたかった。
仮にお客さんから頼まれたデザインや、劇団から頼まれた楽曲を作っているとき
他人から頼まれた事であっても、これは、自分の時間を生きている感覚。
なぜか?
それは、自分の好きな事でもあるし、なにより僕の発信するものを求めてもらっているという理由が大きいと思います。
家族のための家事も、思い次第で、自分の時間にもなるし、他人の時間にもなってしまう。
なんで自分ばかり・・・とならないように気をつけてます。
家族が気持ち良く過ごせる事は自分にとっても幸せな事だ。
他人の時間を生きる事はすごく苦しい。
そして、進歩が薄い。自分の時間を生きる事で、学びでも吸収が早いし、仕事でもスピードやクオリティが変わってくる。
格差といわれるものの、ほとんどの原因はここにあると思っています。
フリーランスというワークスタイルでも、気を抜いていると、他人の時間を生きているサイクルに入りそうになる。
技術を磨けば磨くほど、それをただで使おうとする人が必ず現れる。
自己中になれということと勘違いしないでほしい。
自分→他人・・・自己中心的
自分←他人・・・他人の時間を生きる
自分←→他人・・・自分の時間を生きる
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