3年くらい前から放送大学に入学して、ろくすっぽ通わずに卒業できてしまった大学生活の穴埋めをしている。
当時はありがたく思っていたけど、ゼミにも入らず、単位を取るだけで卒業できる大学を今でこそ恨む。(いや、恨みの矛先はそれに甘んじてしまった若かりし頃の自分自身なんだけど)
※最寄りの駅が駒澤大学駅という駅からほど近いところの大学だったんですけど(笑)
完全に答えになってる!
1974年生まれの僕ら世代は1972年生まれの第二次ベビーブームであふれた浪人生と受験戦争を戦うという超強烈な受験戦争を体験している。
一浪、二浪は当たり前。
大学なんて入った時点で、ゴーーーーール!
って感じだったんですよね。言い訳すると。
ちなみに僕は一浪です。
その当時は勉強のありがたみなんてものはこれっぽっちも感じていなかったのが、社会人になると、案外、それが表に出てしまう。
アーティスト活動をしているときは全く感じなかったけど、(当時のアーティストは音楽とか芝居のことしか頭にないやつばかりだった。今は社会派が多いね。)会社を経営してからは、何かと無知がぽろぽろこぼれ落ちる。
行政とイベントを企画していると、社会的な課題や、経済的な課題を話し合っていても、僕は精神論しか出せないんです。
正直、精神論って、年下から出てきた時点で鼻くそ以下なんですよ。
会議で鼻くそ丸めて飛ばしているみたいなそのレベルの自分に気が付いた。
20代後半や、30代前半っていうのは、頑張れば頑張るほど未熟さが露呈する年頃なんです。もちろん、そういう体験も必要ではあると思うけど。
ただ、やっぱり、発言には裏付けになる事例をつけると説得力が増すし、裏付けとなる法則、裏付けとなるデータ、長年これが正解だという方法(たとえば、経理で言えば簿記です。)、自分の生きてきた経験だけでは説得力をもつことができないシチュエーションが多い。
ビジネス書の受け売りも危険で、稲盛和夫やそのレベルの著書の引用ならまだしも、日本のトップクラスのビジネスコンサルという人の著書の引用でさえも、うまく引き出さないとうさん臭くなる。あのレベルの人が言うから説得力があるというコンテンツがたくさんあるからだ。
そういう意味で、使いやすく、説得力が最も高いものは、教科書に載っているものだとボクは思う。
そこら辺のビジネス書を鵜呑みにした人のプレゼンがドスベリしている光景を何度も見てきた。ドスベリどころか、年配者の気に障ったのか、キレられていた光景も見たことがある。
ビジネス書をそのまま言ってるやつのスベリかたは尋常じゃない。
しかもその場の温度まで2度くらい下がるのだ。
「やめてーーーー!」ってこっちが逃げ出したくなるほどに。
その点、教科書は、フラットだ。引用するならばフラットな情報やセオリーを自分なりにあてはめて、発言するほうが、説得力もつくし、かっこいいと僕は思う。
ちなみに大学の教科書は入学しなくても買えます。
「料理されていない素材」を食べてみることをオススメします!
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