子供とNintendo DSなどのゲーム機
公園やデパートなどのフリースペースで男の子たちがこぞってDSを開いて群がっている。
あの光景を見てほほえましいと思う大人はどのくらいいるのだろう?
多分、多くの人が、もっと子供らしく遊べばいいのに…と思っていると思う。
うちは子供が3人います。
今、そのことについて悩んでいます。
ゲームを禁止すること、制限することで解決するのか?
親がいる間は「ダメ!ダメ!ダメ!」と言い続け、与えなければ、子供だけの力でゲーム機を手に入れることは不可能です。
ただ、子育ては、子供の時だけの問題ではないですよね。
大人になった後も、しっかり自立した人生を生きてもらいたい。そういう大人になるための1過程でしかないと思っています。
ある程度、自分の意志で何でもできるようになったとき、押さえつけられたものが洪水のように激しくあふれてしまっては本末転倒なんだと思うのです。
どんなに禁止、制限しても高校に入れば自分の意志で買い物もできるし、時間もコントロールする。
僕はウェブやマーケティングを通して広告を扱う仕事をしていますが、未経験者ほど、たやすく商品やサービスを届けることができます。
つまり、ずっとゲームをやってこなかった若者や大人にゲームを持たせることなど、広告やマーケティングの技術で簡単にできてしまう。
スマートフォンもいつか必ず持つ。1クリック、2クリックでゲームが入ってきます。
そういう社会がそこにある中で、果たしてゲームを禁止させることが得策なのか?とさえ思ってしまう。
ゲームの正体は何だろう?
ゲームってなんだろう?欲求?快楽?無心?になれるもの。夢中になってしまう仕組みがそこにある。僕自身、ファミコン世代でゲームに熱中してきた世代だからゲームの楽しさも、危険性も少しは理解しているつもり。
その中で一番、リスクが高いと思うことは、「時間泥棒」という部分です。
ゲームは時間を奪う。世の中にある魅力的なこととの出会いのチャンスも奪ってしまう。楽で楽しい時間を知れば知るほど、面倒なことがしたくなくなってくる。
一億総ゲーム漬けにされた国はどうなるだろう?経済はある程度回るのかもしれないけど、社会面では崩壊しないか?どう思いますか?
ゲームの正体を知ってそれに対する精神を育てるのがベストなのかな…
まだ、子育て中の僕には確信がありませんが…
たとえば、「ゲーム=欲求」であるならば、そういう「欲求」に対するコントロールの仕方を子供と一緒にゲームを通して学び、育んでいけばよいのかなと思いました。
単純に禁止するのではなく、確実に手に届くところに現れるゲームに対して、子供たちは、大人になってからもどう付き合っていくべきか?やりすぎないように、欲求を抑えたり、健康を守ったりすることを考えながら成長できればよいなとも思う。
でも、現実は厳しい
ただ、やっぱり与えたては、幼稚園や学校にに行きたくなくなる子がほとんどなのかもしれません。
一人でいられて楽で楽しい時間と、自分の足で通う幼稚園や学校で友達とコミュニケーションをとる時間はだいぶ乖離がある。だから、面倒になってしまうのかもしれません。
実は妻の入院中、寂しいだろうからと僕が10年くらい前に買っていたDSの初号機を「借りてきた」と言って出してあげたことから、子供たちに変化が表れています。
妻とも大きなけんかをしてしまいました。
子供とゲーム機については引き続き、考えて、向き合っていこうと思っています。
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