無知だからこそ、理想を言い放てる部分もあると思う

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参議院議員選挙が終わって、翌日はその喜びや、敗北の光景がテレビで放送される。

ネット上はというと、見る気がなくても、FacebookやRssから、当選者への批判が発信されまくる。

およそ、その当選者が危険だというような論調が多い。

逆に、当選者を称える書き込みは少ない。お目当ての候補者が当選した人は、そっと当選を喜んでいるのかもしれません。

もしくは、露骨に喜ぶと、誹謗中傷がからんでくることをわかって、なにも発信しない。

でも、本心では、声を大にして、おめでとうと言いたい人もたくさんいるのでしょう。

なんだか、そんな風に、プラス志向なコメントが発信しづらいネットって、本当に社会にとって有効なのか、ちょっと、疑ってしまう。

仮にプラス思考だらけになっても、たしかに、つまらないとは、思うよ、わがままでゴメン。

当選者をバッシングしている記事を読む。

その人の無知を恐れているのか、悪を恐れているのか。
ほとんどの記事が、「悪」だという決めつけた論調で、報道やその程度の情報で本当に人を悪と決めつけられるのかどうか、どちらが悪だ?と疑問をもってしまう。

たしかに、候補者の中には、?という人もいるし、その人が、無知である可能性は捨てきれないけど、無知は補って行くものだし、無知だからこそ、理想を言い放てる部分もあると思う。
まずは、どこまでできるのか、やってみるという行動も、国民に見せることができる。

やってみたらダメだったという政党も僕らは見てきたし、それはそれで、必要な過程だったと僕は思う。
ダメ元でも、理想は絶対捨てたらダメだと僕は思う。

知る人ぞ知るだと政治はどんどん国民から離れていくわけだし。
まずは、無知でも何でも、自分が正義と思う人に、一票を投じるのは、叩かれるような行動ではなくて、ブログで文句だけ言うだけの人よりも、よっぽど魅力的だと思うんだ。

そんなことを思う選挙翌日。

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