最近、友人のNGO団体に入り、NPO法人登記を進めていました。
義理の弟がセネガル人なら、友人はガーナ人。最近、アフリカと縁がある。
以前から、NPOには興味があって、僕自身も任意団体ではあるけど、社会起業家といわれるような活動はしていたんだと思う。
「思う」というのは、好きでやっていたことが実は、そのジャンルだったのかと後になって気付いたにすぎないからです。
映像作品を通して世の中の不条理にクローズアップした自主制作映画を作っていました。
僕の奥さんとは、いっしょに映画を作ったことがきっかけで結婚しているわけですが、そんな二人が結婚しても、ずっと映画制作をしているわけもなく、あの頃の共同作業はどこへやら、今は、どこにでもいる普通の夫婦です。
ビデオカメラの被写体はもっぱら我が子達です。
子育てが一段落したら、また、二人で映画を作りたいな・・・とも思っているんだけどね。
いざ、家族を持ち、生活をしていると、社会貢献という分野からどんどん遠ざかっていく自分がいるのに気が付く。
バックパックをせおって、世界を旅していた時は、スラム街や、物乞いを見ては、自分にできることなんだろう?と感じては、帰国して世界情勢や、NGO関連の本を読みあさっていた。
そんな自分でも子育てをして、将来設計などを考えれば、お金も頭も外に向かっていかないんだ。
WFPやNPOの賛助会員の会員証を何枚か持っていたけど、今はない。
あれだけ、関心があったことなのに・・・余裕がなくなるんですね。
でも、やっぱり、それでいいのか?って思ってしまうわけです。
たしかに、社会起業、社会貢献と言えば、営業しやすい。だから、CSR報告書を作文して、掲げるだけの企業も増えてきているんだろうけど、なんか、そういううわっつらなことではなく、まともに社会起業家をやっている人は、違う。
いいことやっていれば営業が楽なんてそんなことはない。
ガチで世間の偏見や、社会システムとぶつかるんだな・・・っていうことを知った。
友人のNGOも、フェスをやればクレイムを受けたりする。いいことだから騒音をだしていいわけではない。でも、そこも折り合いや、やり方やいろいろあるんだろう。
一方、僕の仕事。ネットラジオ番組を作るセッションにしても、ヴォイストレーニングにしても、ウェブデザインにしても、原価、売価だけにとらわれすぎていれば、きっと人気をなくすんだろう。
お金はあとからついてくるもので、そこにしっかりとした理念があって、その自ら掲げた理念を真に受け止めて、実行していれば、きっとその事業は認めてもらえるはず。
色々な小手先ビジネス書が売られているけど、経営者だけに散々、読みまくったけど、結局は、社会、環境も含めて、この地球に貢献できる理念を掲げ、いかにそれを知ってもらえるか?更に言えば、それを多くの人に知ってもらえる工夫こそが大切なんだと思う。
安いよ、安いよ!じゃ続かないんです。NPOや社会起業家に学べ!まさにその通りだと思います。
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