雇われない生き方をし続けてきた僕の人生の弊害
十代で芝居の道にどっぷりはまり、生涯、役者人生!と思った17歳。
上りつめたのは歌舞伎座の舞台。
義経千本桜の狐役を演じていました。
暮れも12月の25日公演。楽屋入りを逆算すると神奈川県相模原市の高校を早退しないと間に合わない。
役者になることに反対している親に黙って早退を続けていた。
帰りは高校生にとっては遅い時間、23時くらいになっていた。
この家にいるのなら芝居をやめろと言われ、家出を計画も、住む場所もなく、泣く泣く芝居の道をあきらめた。
事務所のマネージャーからは、
「学校の勉強がすべてじゃない、あなたは普通に高校生をやっていたら決して学ぶことができない貴重な場所にいるの!お父さんに歌舞伎を観に来てもらいなさい。」
とアドバイスを受け説得を試みるも、
オレがそんなモンを見て考えを変えると思ってるのか?と鼻で笑われたのを今でも想い出す。
その一件で17歳で父親と一切、口をきかなくなり、次に会話をするのは30歳になったころだったかな。
今は経営者同士、普通に会話を交わすようになりました。
芝居を取り上げられた僕はその反動で音楽を始める。エレキギターを買うも、それすら父親に返品してこいと言われ、仕方なしにヴォーカルになった。
意地でも芸術、表現という世界にかじりついていました。
(左側:僕です。これはもう30手前くらいの時。都内各所で週末レギュラー出演するバンドのヴォーカルだった。)
ダメだ!と制限する教育は結局、子供を爆発させる。
そんな10代だったからか、大学を出てからたまりにたまったうっぷんが爆発して就職をしなかった。
もちろん、家も出て晴れて独立しました。
それ以来、一切雇われない生き方をしてきました。
高校生で国立劇場の舞台に立ってしまった僕にとって、また、ゼロからスタートすることがなんだか腹立たしく、その後に入った劇団では、天狗のような態度を取っていたと思います。
お前らとは違う
みたいな( ̄Д ̄;;
そんなやつは、もう、上がれない。
とにかくあそこまで行ったのに…と思えば思うほど、自分の上に人がいることがどうしても許せなかった。
それが僕をフリーランスという生き方を選択させた…というかそれしかなかった。
社会経験がほとんど無かった僕のそれからの人生はひどいモノだった。
貧乏生活まっしぐら。1ヶ月の食費を考えると食パンしか食いつなげるものがなくて、ずっと食パンで暮らしていた。
夜は空腹を紛らす為に枕をお腹に当ててうつぶせで寝ていたくらい。
体重は173cmの身長に対して57kgだったかな。ガリガリだった。
(ちなみに41歳の今は80kgです。)
街で僕を見かけた母がしょっちゅう僕のアパートの玄関にパック寿司をぶら下げて帰っていった。泣きながら食べていた。
アーティストやクリエイターだけを続けて、誰にも雇われずに、先輩や師匠のような存在がいないとこんな生活になってしまう。
僕のケースは少し特種かもしれないけど、
安易に雇われない生き方なんて選択するものじゃないと今でこそ思う。
僕にはたまたま転機が訪れただけ
それからある転機が訪れて、音楽はヴォイストレーナーとして、芝居は演出家としてつづけています。
更に芝居と音楽で培った表現力を活かし、プラスαで知識が必要だと思ったので働きながら大学に通い直し経営を学びます。事業の実践でもPRやマーケティングを学びつつ、バイトをやめてフリーターからフリーランスになり、その後、10年くらいして会社を起こしました。
3月で4期目に突入するうちの会社はまだまだ小さいですが愛すべきお客様に恵まれて順調にやっています。小さな会社やフリーランスのかたのマーケット戦略を構築するコンサルやカウンセリングをしています。
子供3人、持ち家、そこそこ無難に生きています。
今、振り返って思うのは、人生を後悔していないというのはウソです。
雇われない生き方をしてきた何を後悔しているか?
大学を出てから、先輩や師匠というような人につけば良かったと思う。
会社に入るのもその選択肢の1つだったのかもしれません。
人生、フリーランスで自力だけなんてことは不可能で、フリーランスでも生きて行けるのは、それ以前に構築している何かがあるからだ。
それがないならば、フリーランスなんてなるものじゃない。
もしも、それでもと言うならば、ビール1杯おごっていただけるなら相談くらいならのります。
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