日本が誇るバトミントン選手の賭博罪が取りだたされていますが、21歳の選手の方は、先輩きっかけだろうなと勝手な推測をしてしまう。
別に彼だけを擁護するつもりはないし、どちらの選手も法に触れたのは変わりないんでしょうが。
子を持つ親として改めて思った
悪い先輩につかまるとこうなるんだよな…。我が子の環境、考えてやらないと…
でも、オリンピックに出るような上位に君臨するスポーツ選手社会にもそんな人がいるのか…どこも変わらないのか?とも思った。
子供の環境をお金で買う慣習は永続的だ
私立の小学校や中学校に子供を入学させる動機の1位は、「やんちゃ」な友達、先輩から隔離させるといったものが多い。
少子化とはいえ、更に不景気も乗り越えて、お受験市場は依然として順調のようだ。
でも、今回の件で、なるほど、どこにでもいるのか…と思えば、あとは本人の意思を強くさせることで防御していくほかないのかなとも思う。
日本には「空気を読む」という文化があるけど、これは主に中学、高校時代は最重要課題だった。
子供には空気を読む為にその「空気」に染まらなければならない瞬間がでてくる。
たとえば、友人たちが万引きをしている。自分にも勧められた。
悪い空気を読んで察してしまえば→手を染めてしまう。
そんなシチュエーションが誰にも1度や2度はやってくる。
とりわけ、十代はいい子ぶることがかっこわるいことのような風潮がうまれやすい。
「そんなのダメだよ」というセリフは笑いの対象にされてしまう。逆にこれを言えた子はスゴイと思う。
でも、明らかにこれが正解だ。
子供に教えるべきは空気を読むではなく、ぶっ壊すこと
大げさに言うと、いざというときに役立つのはぶっ壊す力の方かもしれない。
もちろん、空気を読む力も生きていく上では必要なんだけども。
子供には空気をぶっ壊すくらいの勇気を教えた方が良いのではないか?と思う。
社会的に「悪」であったり、法律違反であっても周りがやってたら同じ行動をとることのほうが、それを「ちくる」ような行為よりも多いのは、その場所が自分にとっての社会、居場所だからだ。
だけど、居場所なんかどこにでもあるというような、選択肢をたくさん用意してあげることが大切なのかなとも思う。そうでないとその居場所の実態をさらす勇気も壊す勇気も起きないだろう。
ただ、今回の事件で1つだけど同情してしまうのは、バトミントンの頂上という居場所は何にも代えられない空間だっただけに、その場の空気に染まらないわけにはいかなかったのかも?とも思ってしまう。
染まってしまうよりも、これが言えた方がかっこいい。
「おれ、そーゆーの、パス」くらい言えたほうが実はかっこいい。
相撲部屋の中でリンチ事件があったことも記憶に新しいけど、場所を移しにくいところは悪い空気が滞留してしまうことがある。
後輩いじめをしている同僚に
「いつまで、そんなアホなことやってんだよ」くらい言えた方が実はかっこいい。
そういう場所は特に注意していく必要があると思う。
空気を読むことはいいことだけとは言えないのが現実。
そんなことを思った事件でした。
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