昨日、厚木市文化会館でおこなわれたミュージカル「アルプスの少女ハイジ」を観て来ました。
このご時勢、アルプスの少女ハイジ?と少々不安に思ったのですが、やはり名作を舞台で表現し続けることは意義がありますね。
クララが立った!
こんなコテコテの結末でも名作ならば許されるのです。
僕がこういう台本を書いたところで、演出家から冷たい目で見られるのです。
そして、こういう定番は定番であり続けなければいけない。
定番があるからこそ、僕ら作家はそこから想像を膨らませることができるわけです。
だからこそ名作は上演し続けなければいけないのです。
しかし、クララ役が一昨年、昨年とミュージカルで指導してた子で、素がクララと正反対なだけに
なかなかクララに見えてこない!
前進的なアーティストは配役で突拍子もないことをするんですよね。
ギャンブルのような気もしましたが(笑)
僕が演出をするときは、素に添えていくやり方なので、こういう配役を見ると怖くて仕方なくなる。
なぜ、素(本人の本性)に近い役で配役するか?
勇気がないわけじゃなくて、素に近いほうがもっと掘り下げられると思うからそうします。
そのシーンでその役がどういう気持ちなのか、入り込みやすいメリットがある。
逆に自分と正反対の役だと客観的に役を作りこめるというメリットもありますよね。
どちらをとるか、どちらとも正解だと思います。
ただ、地元のミュージカルや市民ミュージカルは、なるべく素に沿わせたほうがお客さんも入り込みやすいんじゃないか?という配慮はしますよ。
子供は顔が広いですから。
普段は元気印なのに、おかしいわ~
とか、
あの子、普段はおとなしいのにがんばってるわ~
なんてふうに観られたくないですからね。
市民ミュージカル独特の考え方ですけど。
ただ、役者にとっては、一人の人として自分とまったく別人になれるという機会は有意義です。
そういう部分に光を当てて考えることもありますよね。
もちろん。
去年、ご一緒させていただいた演出家、鈴音彩子さんが
配役でこの舞台のほぼすべてが決定する
とおっしゃっていましたが、だからこそ、配役は難しい。
さて、はて、そんなミュージカルを観て、血が騒がないわけじゃない。
僕も舞台作家で、ミュージカル音楽の作曲家であります。
今年は映画監督などやってましたが、やっぱり生も良いですね。
フランス料理も良いですが、やっぱり刺し盛りのような生の舞台が好きなんですよ。
あつぎテアトロで観てきた子達の活躍はなにより僕の励みになりました。
まだまだ脇でアンサンブルをしている女の子も初舞台から見てきた子
腕がピシッとのびてしっかり踊っていたし、ペーター役をやってた子にしても、相変わらず振りがしっかりしている。
観てると、あそこ、しっかり演出してやりたい!とか、いろいろうずくところもありましたが全体を通して、一般市民とは思えないクオリティで仕上がっていました。
また、いつか、一緒に舞台を作りましょう。
楽しい時間をありがとう。
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