情報過剰、熱かったものほど冷めやすい
ポケモンGOの話です。意外に飽きている人もちらほらいませんか?
そういえば、ここ3日くらいポケモンさがしてないな。
案外、そんなもので。本当に好きな人だけが残っていき、一時のブームに流された人は去っていく。
そんなポケモンGOですが、子供にやらせる。是か非か。
我が家は妻がとにかくアンチゲーム。ゲームなんて百害あって一利なしというくらいの人です。
かという僕は、20年前、ダビスタにはまりすぎて廃人と化した過去を持つ男。
バイトとゲームだけの1~2年を20代の頃経験している、元ゲーマーでもある。
家を飛び出しお金がなかった頃の話。ゲームは貧乏人の娯楽にベストマッチングだもの。
そんな夫婦二人。どちらも、ルーツは違えど、ゲームは危険と思ってはいる。
もちろんのことながら、妻は子供たちのゲームを制限しているが、僕は過剰に制限することが危険なことを知っている。
欲求不満の反動の恐るべしこと・・・
僕の子供時代はファミコン時代。案の定、のめりこんだ。のめりこみすぎてそれを危険視した父はファミコンを取り上げた。ファミコンどころか、テレビも取り上げた。
最初、冗談かと思ったけど、本気でテレビが家からなくなったのです。
家から映像がなくなり突然静かな家になりました。
あれは確実に父の暴挙(汗)
それで僕ら子供たちにどんな変化が起きたか?
たしか、兄はマンガを読み、弟は長電話に走り、夜遊びをし、僕はボーっとしていた。
制限することで、教育なんかできるものじゃない。
ゲームを取り上げた子供が大人になり何が起きたか?
反動が起きた。家を出て、自由を勝ち取った僕はゲーム漬けになりました。
欲求不満の反動です。好きなことをコントロールできないダメな若者になっていました。会うなと言われるほどに思いが募る恋もゲームも一緒か。
あのころを思い出すたびに、無駄な時間を過ごしたと思ってしまう。
でも、得た教訓も大きい。
好きなものを取り上げるのではなく、程よく付き合うこと、欲求をコントロールできるようにすることが大切なことだと学びました。
親になった今、その経験を活かしたい
というわけで、僕は妻と話し合い、ゲームを許可しています。
もちろん、ルールを決めて、その中で、楽しいことをやめられる力。時間をコントロールできる力をゲームを通して養えるか、自分が子供の頃、育めなかった力をつけてもらいたいと思っています。
さて、ポケモンGOに話は戻りますが、是か非か
ポケモンGOが是か非かというのはナンセンスなテーマであって、ポケモンGOもドンジャラも、ジェンガもただ単純に遊びなだけだ。
良いか悪いかはおのずとそれを触れ合う時間の使い方やマナーの問題。
ポケモンGOが流行ったから事故が起きたのか?
結局のところ、運転しながらポケモンを探して事故るやつは、ポケモンGOがなければ、ほかのゲームで事故っていたのだろう。
本当にポケモンGOが悪いのか?報道でやっていたゲーム名を言う必要があるのか?ゼビウスだったら言ってたか?
ポケモンGOは歩きスマホを助長している
そして、思うに、あれは歩きスマホを助長していると言われているけど、見解として確かにその通りだと思う。
ここはちょっと問題視したい。
歩いて卵をかえすとか、スマホなんてものは、自動で電源が切れるわけだから、常に画面を開きながら動かないと卵がかえりにくい(ようだ)。
どうぞ、歩きスマホをやってくれと言っているような感じもする。
それでも、このゲームの良いところ
そこは改善の余地があるにしても、この「ゲーム」は今までとちょっと違う。
PLAYする上でのシチュエーションが内から外になった。
これは革命的なことだと思う。
おーい、ポケモンでも探しに行くかー?って子供たちと出かける機会ができた。
どんなモノにも良い面も悪い面もある。だからこそ、「モノ」よりも「使う側」。
ゲームにしても、何にしても、それ自体が是か非かっていう論点は的が外れていると思う。
着目するべきはそれを使う人間側。
この話、「資格」に似ている
「その資格は稼げない」という人がいるけど、資格が稼ぐのではなく、その資格を取得した人間がその資格を「運用」するわけで、稼ぐのは資格ではない。
だから、ゲームが悪いのではなく、それとどう付き合っていくか?ということが学びになるという「ゲーム与えるべき論」でした。
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