ベッキーとか駿台の問題集とか皆さんは怒りましたか?

 駿台予備校がだした「セクシー問題集」について思うこと

嫌悪感を持つなら買わなければいいと思う。

ベッキーの不倫について

怒るべきは不倫相手の奥さんとベッキーをCMに起用している企業だけでいいと思う。

なんで、みんな自分に関係のないことでそこまで怒れるのだろう?

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でも、たしかにベッキーが不倫するくらいだから「私も!」なんて軽はずみな行動を起こすような人もいるのかもしれない。

そういう意味で社会に悪影響を及ぼすこともあるのだろうけど、それについても個人の問題だと思うんです。

「セクシー問題集」については、試験で実際に出ない例文だけに、それで勉強したときに直感的に結び付けることができるか?という部分では果たして理に適っているのかなと疑問に思う。

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すべての本がすべての人に好かれるように書かなければならないのであれば、言論統制と似たような世界が生まれてしまうのではないか?

僕はこれを危惧する。

たとえば

「こんなこと書いたら叩かれる」

これを書き手に思わせたら、僕たちはいろいろな意見や思想に触れることができなくなってしまう。

すべてがすべて「いい子ちゃん」の本やブログだったらそんなもの読むに値しないわけです。

実際、みなさんがよく読むものって、全員が全員、絶対に怒らない内容なのかな?

多分、少なくとも、どこかの誰かが反感を抱く。

それが「意見」や「主張」というものなのではないでしょうか?

結局、アクセス数が高いブログっていうのは、切り口が他の人と違っていて、賛否両論が飛び交うようなことが書かれていることが多い。

そういうものに賛同するのも自由。反論するのも自由。読むのも読まないのも自由。

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だったら、「セクシー問題集」を買う自由もあれば、買わない自由もある。

そう思えば、販売させ続けたほうが良いとさえ思う。

僕たちは、単純に怒りを表明することで選択権を放棄してしまうようなことにつながっているのではないかと思ったりする。

怒ると誰かが反応して収拾しようとするからです。その結果が怒っている側にもよくなるとは限らないのかな。

「私は怒っています。早く仕舞ってください」→「世の中から一つの選択肢がなくなる」

怒りはもっと、怒るべき時にとっておいたほうが良いのではないか?と思いつつ…

言うことを聞かないわが子に、叱るというよりも、怒ってしまう自分がいる…

怒り、コントロールしたいですね。

アンガーマネージメントというらしい。

参照記事

www.vogue.co.jp

追記)

ワイドショーは「はい、みなさん、今日はこのネタで一緒に怒りましょう♪」と怒りという対象を押し付けるという意味で価値観を押し付けている部分がある。

もっと客観的に見ないとやられちゃいます。

うちの奥さんには、「気を付けろ」と言っている。

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